終活という言葉はずいぶんと社会に浸透しているように思われます。文字を見ただけでニュアンスを受け取れるという以上にこの二文字だけでも周辺の整理について思いをはせたり、自分の人生について思うことがあるでしょう。
しかしこの終活もまた、時代の移り変わりで変化してゆくものであるといえます。もちろん相続のことであったり葬儀の準備といった要素はかわりません。細かい部分や自分のお墓を持たないといった個人の嗜好はあれどそれは葬儀の準備とひとくくりにできます。
ですがこと身辺整理においては自覚を持たねばわかりにくい要素があります。それこそがインターネット社会の現代におけるSNSやネット上のデータです。データは削除できます。コンピューターから個人情報など不要なものをきちんと掃除して人に譲る、廃棄するといった選択をします。
ですがSNS上の自分の発言はどうか、と一度思うことが必要です。晩節を汚すということはありませんがあるいは長らく使っている場合古い発言が残っている可能性は大いにあります。また、ブログという機能も今ではたくさんの人が気軽にかつそれを明確に終わらせるのではなく徐々にやらなくなって、記憶から薄れていったという程度の扱いであったりします。ですがそれもまた自分の人生の一部です。今思えば意地が悪い発言があったと思えるなら消すといった対処をし、風化させるにしても一度インターネット上に残るものとして見返しておく必要があります。